第2子も体外受精で妊娠

33歳の時に、重度の卵管水腫で体外受精でしか子を授かれないことが判明し即両卵管クリッピング。34歳で3度目の採卵&2度目の移植で妊娠出産。37歳目前で不妊治療を再開、第2子も3回採卵&2度目の移植で妊娠。年内に出産予定。

1周期まとめ・やっぱり簡単には妊娠できない

ブログだいぶ放置してしまいました。

放置している間に、あいだ希望クリニックで、年始から2人目不妊治療始めました!

 

初診は昨年夫婦で済ませておいたので、今年最初のD3から通院スタートしたかったのですが、病院の正月休みと被ってしまい1/5、D6からのスタートになりました。

 

D6 ホルモン数値問題なし

D6〜D10 レトロゾール服用(PCOSのため)

D13 卵胞チェック

D14 卵胞チェック→2〜3個採れそう→スプレキュア&ボルタレン処方

D16 採卵→成熟卵2つふりかけ

D17 受精確認電話→O.K.

D18 分割確認電話→O.K.(両卵管結紮済のため)

 

D21 移植可否確認電話→O.K.

→新鮮5日目胚盤胞グレード5bc移植

→ウトロゲスタン膣座薬7日分処方

 

D28 判定日→β-hcg0.7

→あいだ先生「1〜2%くらいの確率でこの数値から妊娠出産まで至る人もいるので、ウトロゲスタン5日間続けて下さい。また、妊娠の影響をできる限り減らす為に、生理を引き延ばす為の黄体ホルモン補充でもあります。念のため、次回着床スクリーニング検査の採血をして行って下さい。あと、もう1つの受精卵は6日胚盤胞グレード6ccで凍結しました。」

 

D33 再判定日→β-hcg0.1以下

→きたの先生「やっぱり今回は残念でした。もう妊娠の影響は全くないので、次回D3からまた普通に始められます。次回D3で結果が出るけれど、着床してるからまぁ今回は卵の質でしょう。」

 

てな感じでした。

最初は、トントン拍子で移植までいけて、移植した時は出産予定日まで計算して既に妊娠したような気になっていました。

判定日までの1週間はちょっとした体調の変化に一喜一憂して、判定前には妊娠の兆候もまるでなくてかなり落ち込んでいて、あー、不妊治療って、受精確認電話と判定日までの1週間が、生き地獄だったなぁということをまざまざと思い出しました。

そして判定日には、あーやっぱりか、ダメだよねー、そんな簡単に妊娠できないよねぇという気持ちになりました。

再判定を受けた今は、ハイ次!次!という気持ちに切り替わってます。

 

1人目の時は、1周期目は新鮮で移植できずに次周期に凍結胚盤胞移植で判定日β-hcg0.2とかだったので、まー、想定内と言えば想定内。

更に年取ってる事も考えればまー、仕方ありません…

 

ただちょっとだけ気がかりなのは、1人目治療前に長田先生に腹腔鏡手術で卵管結紮して頂いたところ、今はどうなっているんだろう?ということ。

あいだ先生に昨年初診時に手術画像を見て頂いて、このまま治療始めて大丈夫と言って頂いて安心してはいるものの。

ネットで検索しても、両卵管結紮して胚盤胞移植で1人目妊娠出産した後に、時間を空けてまた胚盤胞移植で2人目妊娠出産しましたー、という人を見つけられていないので、ちょっぴり気がかり。探し方が悪いのか。どなたか、そういう人、いらっしゃいませんか?

 

次周期に向けて、日常生活見直して、妊娠体質になるようがんばるぞー!

体外受精ギリギリ助かった世代と、間に合わなかった世代。女性のキャリアについて。

私と同年代(30代後半)の友人では、体外受精が割と一般的になっていて、34〜36歳で不妊治療開始して1〜2年以内には授かっている子が多い。ギリギリ助かった世代

 

私たちのちょっと前のバブル世代の女性(40代後半くらい?)は、卵子老化の啓蒙活動もなかったし、女性がバリバリ働くのはカッコイイ!とされていたし、体外受精が一般的でなかったし、治療に今よりお金もかかっただろうから、40歳近くなって子供ができないことに気づいても手遅れになって諦める人が多かっただろう。社会の犠牲になったこと、本当に悔やまれる。

でも、そのような方達が悲痛な声を上げてくれたことが、今の不妊に関する啓蒙活動に繋がって、私たちがギリギリ助かることに繋がったんだと思う。

 

そう思うと、私たちの何とかギリギリ間に合った世代も、体外受精に頼る前に、自然妊娠で20代前半〜30代前半のうちに子供を授かって、女性も安心してキャリアを積めるような社会の仕組みを考えて、作っていかなければ、若い世代に申し訳ない。日本から、日本人がいなくなってしまう。

 

キャリア形成初期の年代と、妊娠出産に適した年代は被る。女性が仕事と妊娠出産育児全てを両立するというのは、本当に難しい。

その上、親の介護の時期まで重なっている。(私の父は、50代で脳梗塞で倒れて半身麻痺になって、それからずっと車椅子だ。) 

 

私は体外受精で1人産めたからその件に関しては良かったものの、仕事は辞めてしまった。当然以前のような収入は無いし、子育てしながら今後社会復帰をどう果たしていくか、自力で解決しなければならない。

会社を辞めないで続けている友人は産休や育休、保育園の入園まで、今の制度で守られているから、正直羨ましいけれど、きっと仕事を続けるのも大変なことは多いだろう。

 

私の母(62歳)は20代で結婚して20代のうちに3人産みきって、世間では40過ぎて産む人もたまにはいるから、自分の娘達が子供ができにくくなるお年頃だなんて、いくら説明してもピンとこないみたいだった。「体外受精なんてしなくても、お母さんが産めたんだから産めるわよー」なんてトンチンカンなことをいつまでも言ってきたりして、参った。 残念ながら私の母のような感覚でいる人はまだまだ多い。所詮、自分の身に起こっていることではないから、まぁなんとかなると思っている。

本当、啓蒙活動は大事。

自分の娘にはちゃんと伝えていきたいと、今から切に思っている。

 

生理が止まっててもヒゲが生えても、望めばいつでも妊娠できると信じて疑わなかった5年前の私

20代からなんとなく、結婚するのは30歳、出産は32歳でいこう!と決めていた。

望めばいつでも妊娠・出産できると信じて疑わなかった5年前の私は、結婚してもまだ好きな仕事や趣味を続けたいなーと思って、毎日チャラチャラ楽しく過ごしていた。

1年後子づくりを解禁しさらに1年経ち、33歳になってもなかなか妊娠しない。そればかりか、妊娠もしてないのに生理が3ヶ月から半年止まることもあった。

 

その頃、NHKスペシャル『産みたいのに 産めない ~卵子老化の衝撃~』を観た既婚子無しの友人が、女子会でそれを話題にした。危機感を持った友人達は一斉に不妊検査をしだした。

仕事で徹夜が続いたり、ストレスがたまって生理が止まったり、挙げ句の果てに顎下から1本太い毛が生え出していたことに気づかず、夫に指摘された恥ずかしい私。。

 

さすがの私も、近所でサバサバしていると評判の女医がやっているクリニックへ不妊検査をしに行った。

血液検査の結果異常がなかったので、負荷検査を再度することになって、その結果、まず潜在性高プロラクチンということがわかった。カバサールというプロラクチン値を下げる薬を処方されて飲んだけれど、妊娠しなかった。

 

忙しすぎるストレスフルな職場が原因かもと思って、9時〜17時で働ける派遣の職場を見つけて、転職した。

 

少し置いてから、卵管造影検査をした。

その場で「両卵管がつまっているわよ。これは酷い。体外受精するしかないわね」と告げられた。卵管水腫による両卵管閉塞だった。

ショックを受けつつもなんとか平静を装い、費用を訊くと1回60万円くらいというのでびっくりしていたら、「生まれたらもっとうんとかかるのよ?それくらい出せなくて子供なんて産めないわよ!」と強い口調で叱られた。

頭をガーンて鈍器で殴られたような衝撃だけが記憶に残っている。

ここで初めて、私が立派な不妊なんだ、ということがわかった。

なんか、とても理不尽だった。

体外受精の知識なんてまるで持ち合わせていなかったけど、そこは婦人科一般なんでも診るクリニックだったし、体外受精するならここじゃダメだろうというのは直感でわかった。

 

家に帰って、ネットで調べまくった。

転職もしたし、治療できる環境は整っていた。

ショックに打ちひしがれて悲しんでいても、何も前に進まない。

迷っている時間は無駄。卵子はどんどん老化していく!

ここはひとつ、不妊治療に専念して、妊娠するためにやるべきことをサクサクやっていこう!と気持ちを切り替えた。

 

体外受精をしても、卵管水腫があると、水腫に溜まった悪い液が受精卵を子宮から押し流してしまうので着床せず、妊娠しづらいらしい。体外受精をする前に、卵管から水を抜くか、卵管自体を閉じてしまう(クリッピングする)腹腔鏡手術をする必要があることがわかった。

腹腔鏡手術をするなら、当時新宿アートクリニック医院長の長田先生か、丸の内の杉山産婦人科、ということがわかった。

その時たまたま、不妊治療をしているという元同僚から連絡があり、新宿アートに通っているというので話を聞くと、自然周期でやっていて看護婦さんたちもとても感じが良いというのと、成功報酬制度というのが気に入って、新宿アートに気持ちが傾いていった。

 

今思えば、あの女医さんが優しい人じゃなくて良かった。優しくて、ついそのままあのクリニックで体外受精していたら、いつまでも妊娠しないでお金だけ無くなっていただろう。

不妊治療ブログを始める理由

初めまして、森サマンサ(36歳主婦)です。

体外受精で授かった、もうすぐ2歳になる食いしん坊の可愛い娘がいます。

保育園のお迎えまであと30分。

まさか、自分が体外受精でしか子供を授かれないなんて、34歳で卵管造影検査をするまで思ってもみなかった(この話はまた後日)けれど、こうして母として忙しい生活を送っています。

とりあえず、このブログを始める理由をざっくり記します。

 

理由はズバリ、2人目の体外受精による妊娠・出産を目指して、1人目の妊娠出産までに体験したことを思い出しつつ現状の記録もする中で、同じようなことで情報を必要としている方にとって少しでも助けになることができれば嬉しい!から。

・なかなか授からない人

・妊娠を希望していて生理不順の人

・潜在性高プロラクチンの人

・多嚢胞卵巣(PCO)、多嚢胞卵巣症候群(PCOS)の人

・卵管造影検査で卵管水腫が見つかった人

・卵管クリッピング手術を受けようと思っている人

体外受精で妊娠・出産したい人

・1人目だけでなく、2人目も体外受精で妊娠・出産したい人

全て私が体験したことなので、上の項目に相当する方にはできるだけお役に立てるように、頭を振り絞って、当時の記憶を思い起こしつつ書いていきたいと思っています。

 

私自身、1人目の妊娠出産までには、不妊発覚時には大層ショックを受け、必死になって自分と同じような不妊原因の人のブログを読み漁り一喜一憂したり、妊娠しても不正出血や酷いつわりがある度にiPhone片手に布団の中で悶々とした日々を過ごしたものです。

出産しても、今では笑い話ですが、娘の成長が著し過ぎてネットで調べまくって不安になって大病院に駆け込んだりと、ネットの情報に振り回されることも多々あります。(汗)

 

でもこれだけは、断言できます。

インターネットがなかったら、そしてブログを書いているたくさんの女性がいなかったら、私は妊娠することも子供を持つこともできなかった。

自分と似た様な不妊原因を持っている人がどう行動したのか、どの様な治療や病院があるのか、具体的な情報を知り、自分で選択肢を選び行動することができたのは、誰もが情報を発信して受け取って選び取ることができる時代だから。

この幸運を、私も誰かに少しでも還元したい。

 

今思えば、不妊治療を覚悟し妊娠を望んだその瞬間から、母になる準備は始まっていました。

1人目を望んだ大きな理由は、1度しかない人生、子を産んで育てるという体験をしてみたかったから。

実際に産んで育ててみて、自由を満喫してきた20代とは対照的に、自分以外の存在に、こんなにも振り回されることになるとは思ってもなかったレベルの大変さです。

精神的、肉体的、金銭的、時間的に余裕がなくなります。

それでも2人目を望むのは、自分以外に無条件で、こんなに愛しくて堪らない存在ができることが、とても嬉しくて、子供の気持ちに寄り添うことが感動に満ちているからです。もし2人目を授かることが叶わなくても、それは変わりません。

 

ブログを書くのは人生初なので、いろいろわからないことだらけですが、ちょこちょこ書いていきます。

どうぞよろしく!